福島から15年、チェルノブイリから40年
脱原発後のドイツと
「核のゴミ」
今年は東日本大震災および福島第一原発事故から15年、チェルノブイリ原発事故から40年の節目の年となる。ドイツは2023年に脱原発を達成したが、原発を止めても消えない課題がある。それが「核のゴミ」の処分問題だ。ドイツではかつて強引に処分場選定を進め、住民の反対によって白紙撤回した経験がある。現在行われている透明性・市民参加を掲げた新プロセスと、稼働中の処分場職員との対話から、今後100万年続くこの課題との向き合い方を考える。 (文:ドイツニュースダイジェスト編集部)
参考:Bundesamt für Sicherheit der nuklearen Entsorgungウェブサイト、Bundegesellschaft für Endlagerungウェブサイト、Nationales Begleitgremium ウェブサイト、Verivox「Mehrheit der Deutschen will Atomkraft zurück」

ドイツが脱原発に至るまで
ターニングポイント ❶ チェルノブイリが変えた国民の意識
1986年に旧ソ連ウクライナ共和国で起きたチェルノブイリ原発事故は、ドイツ国民にも放射能汚染という現実を突きつけた。ドイツ南部で土壌や農作物が汚染され、ミュンヘン市内でも一時的に1万9000ベクレルのセシウム137が検出された。このため「子どもを砂場で遊ばせないように」などの警告が出され、市民は強い不安に包まれた。
この体験はドイツ人の原子力への不信感を決定的なものにし、反原発運動が全国規模に拡大。1998年には環境保護を掲げる「緑の党」が初めて政権入りを果たし、脱原発政策を本格始動させた。
ターニングポイント ❷ メルケルの「転向」と倫理委員会の役割
2005年に政権交代が起こり、物理学者出身で原発擁護派だったアンゲラ・メルケル元首相(キリスト教民主同盟・CDU)は、2010年に原子炉の稼働延長を決定。しかし、福島第一原発事故の発生から3日後に方針を180度変えた。このとき同氏が重視したのが、社会学者、哲学者、宗教関係者などで構成された「安全なエネルギー供給のための倫理委員会」の意見だった。
この委員会の報告書では、従来の原子力発電に対するリスクの考え方は不十分であり、核廃棄物処理を次世代に残すのは倫理的な問題があるとして脱原発を提言。メルケル氏は連邦議会で「日本ほど技術水準が高い国も、原子力のリスクを安全に制御することはできないことを理解した」と述べた。
2011年3月26日、福島第一原発事故発生後にハンブルクで行われた原発反対デモの様子
ターニングポイント ❸ エネルギー危機と原発再稼働論
脱原発を達成したドイツだが、新たな岐路に立たされている。ロシアによるウクライナ侵攻はエネルギー危機を引き起こし、さらに生成AI(人工知能)の急速な普及によりデータセンターの電力需要が急増。原発再稼働を主張する政治家も増えており、2025年にVerivoxが行った世論調査では、ドイツ国民の55%が原発再稼働に賛成だった。
米国ではマイクロソフト社がデータセンター向けにスリーマイル島原発の再稼働を決定、日本でも柏崎刈羽原発の再稼働に向けた動きが進むなど、原発再評価の動きは世界的に広がっている。ただし、ドイツの電力事業者は再生可能エネルギーへの投資に舵を切っており、実際の再稼働には慎重な姿勢を見せている。
ドイツの「核のゴミ」を理解する4つのQ&A
「核のゴミ」はどこへ行くのか?処分場はいつ、誰が、どのように決める? ドイツの処分場選定の現状と、失敗から学んだ現在の選定プロセスをQ&Aで分かりやすく解説する。
そもそも「核のゴミ」とは?
「核のゴミ」とは、原子力発電所の運転や廃炉作業で発生する放射性廃棄物のこと。放射能レベルによって、低レベル、中レベル、高レベルに分類される。使用済み核燃料の約95%は再利用可能だが、残りの5%は再利用できず、高レベル放射性廃棄物となる。ドイツの法律では、放射性廃棄物の影響を考慮すべき期間を、地質学的な安定性に基づき100万年と定めている。
この長期間、放射性廃棄物を人間と環境から安全に隔離する方法として、国際的に地層処分が選択されている。地下数百メートルの安定した地層に埋設することで、地上での管理を永続的に続ける負担を将来世代に残さないという考え方だ。
ドイツで最終処分が必要となる高レベル放射性廃棄物の総量は合計約2万7000立方メートルになるとされている。また、原発の解体に伴う低・中レベル放射性廃棄物については、2050年までに約30万立方メートルに達する見込みだ。
ドイツの最終処分場の選定は今どこまで進んでいる?
最終処分場の選定は、一般的に3段階のプロセスで進められる。第1段階は文献調査で、既存の地質データや文献から候補地を絞り込む。第2段階は概要調査で、ボーリング調査などにより地質の概要を把握する。第3段階は精密調査で、実際に地下に坑道を掘って詳細な地質調査を行い、これらを経て処分場が決定される。各段階で地元住民への説明会や意見聴取が行われ、全てのプロセスに数十年を要する。
ドイツは現在、第1段階にある。2020年9月には、国土の54%に当たる90の区域が候補として抽出され、地下水、地震、岩盤の種類(岩塩層、粘土層、結晶質岩)などの基準に基づいて段階的な絞り込みが行われている。その後、2027年末までに地層調査を行う地域が発表される予定だ。
世界では、処分場選定が最も進んでいるのはフィンランド。2025年3月には、世界初の高レベル放射性廃棄物最終処分場「オンカロ」にて、初の封入実験に成功した。日本は、2020年11月から北海道寿都町と神恵内村で、2024年6月からは佐賀県玄海町でも文献調査が開始されている。
2020年の発表で最終処分候補地に挙げられた地域。緑と水色の地域が岩塩層、紫と赤紫の地域は粘土層、オレンジ色の地域が結晶質岩を示しており、それぞれ地質学的に処分場として検討する価値があると判断された
ドイツが過去に経験した処分場選定での「失敗」とは?
ドイツの核廃棄物処分場選定の歴史は、失敗の連続だった。最も象徴的なのがゴアレーベンだ。1977年、西ドイツ政府は東ドイツとの国境に近い村ゴアレーベンを最終処分場候補地に選定。しかし、明確な選定基準が示されず、過疎地に負担を押しつけているという不信感が広がった。数十年にわたる激しい反対運動の末、2013年に計画は白紙撤回された。
もう一つの失敗がアッセIIだ。この旧岩塩鉱山跡には1967〜1978年にかけて約12万6000本の低レベル放射性廃棄物のドラム缶が投棄された。しかし1980年代末から地下水が流入し始め、放射性物質が水に溶け出していることが判明。坑道の荒廃も進み、崩落の危険性もある。現在、核廃棄物の全量回収が試みられているが、これには莫大な時間とコストがかかるという。
白紙撤回されたゴアレーベン処分場候補地。かつて調査のために掘り出された膨大な岩塩が、坑道を埋め戻すために再び地下へと戻されている
1970年代に撮影された、アッセII内部に投棄された放射性廃棄物のドラム缶
現在ドイツで行われている処分場選定の方法・プロセスは?
ゴアレーベンやアッセⅡでの失敗を経て、ドイツは2013年に「場所の選定に関する法」(Standortauswahlgesetz)を制定、2017年に大幅に改正し、全く新しいアプローチで処分場選定をやり直している。最大の変更点は、白紙からの科学的選定と透明性・市民参加の徹底だ。候補地を白紙に戻し、全国を対象に地質学的に適した場所を科学的に選定する。
市民参加については、識者や環境団体に加え、無作為に抽出された一般市民が参加する社会諮問委員会(NBG)が設置された。この委員会は選定プロセスを監視し、透明性を確保する役割を担う。全国、地域レベルで公衆参加の枠組みが設定され、「市民参加の進め方そのものを参加者の議論で決める」という慎重なアプローチが取られている。
ただし、課題も残る。当初は2031年までに候補地を確定する目標だったが、連邦放射性廃棄物処分実施機関(BGE)は2022年12月、90区域からの絞り込みは2027年までかかるとし、2031年までの決定は「現実的ではない」との見解を示した。処分場選定への道のりは依然として長く険しいが、市民との対話を通じた透明性の高いプロセスこそが、失敗を経験したドイツにとって唯一の道筋なのだ。
2026年現在のNBGのメンバー。識者、環境団体、無作為抽出された一般市民が処分場選定プロセスを監視することになっており、メンバーの世代もさまざま
画面越しに訪れた「核のゴミ」の在処
モルスレーベン核廃棄物処分場
オンライン見学レポート
ドイツには現在、コンラート、モルスレーベンの二つの低・中レベル用核廃棄物処分場があり、同地では情報センターでの展示のほか、市民に現場を公開している。なかでも処分場の地下見学ツアーは人気が高く、数カ月先まで予約が埋まっている。そのため今回、現地訪問は叶わなかったが、代わりに処分場の運営主体であるBGEの協力のもと、モルスレーベン処分場のオンライン見学ツアーが実現。本誌編集部3名で参加した。
連邦放射性廃棄物
処分実施機関(BGE)とは?
2016年7月に設立された100%国営の有限会社で、低・中レベル核廃棄物処分場の運営、高レベル放射性廃棄物の最終処分場選定、建設、操業、閉鎖を一元的に担う実施主体。BGEの選定プロセスを監督する機関である連邦放射性廃棄物処分安全庁(BASE)と共に、国民に向けた情報提供を広く行っている。今回のオンライン見学で使用された360度バーチャルツアーは、下記ウェブサイトでも公開されている。
www.bge.de/de/morsleben/infostelle-befahrungen
BGEの広報担当スヴェン・ペーターセンさん(上段中央)、情報センター担当官のスヴァンテ・クラウゼンさん(上段右)、セバスティアン・フォークト施設長(中段左)、情報センター所長のカタリーナ・キーファー(下段)さんがオンラインで出迎えてくれた
塩の採掘場から旧東ドイツの処分場に
見学ツアーの冒頭、情報センター担当官のクラウゼンさんが、モルスレーベン低・中レベル用核廃棄物処分場(以下、モルスレーベン処分場)の概要を説明してくれた。ここには、約3万7000立方メートルの低・中レベル放射性廃棄物が貯蔵されている。廃棄物は主に原子力発電所の運転や廃止措置から発生したもので、フィルター、金属スクラップ、作業服、配管などだ。現在BGEは、貯蔵されている廃棄物を地下に残したまま、モルスレーベン処分場を閉鎖することを目指している。
この処分場はもともと、1897〜1969年まで稼働していたカリ塩や岩塩の採掘鉱山だった。第二次世界大戦中は、ナチスがこの鉱山を地下軍需生産の場として使用し、生産作業には主に強制収容所の囚人を従事させていた。また戦後、旧東ドイツ(DDR)政府の政策として地下での大規模な養鶏や、化学廃棄物の中間貯蔵も行われていたという。DDRが1960年代半ばに原子力発電所の運転を開始すると、1971年に処分場として承認。高レベル廃棄物は旧ソビエト連邦に返還する協定だったが、低・中レベル廃棄物は国内処分が必要だったのだ。
1959~1984年には、モルスレーベンの地下で照明を操作して鶏の成長を促進し、大量の食鳥が生産された
転機となったのが1991年の東西ドイツ再統一だ。処分場は連邦共和国の管轄に移り、連邦放射線防護庁(BfS)が運営者となった。本来、西ドイツの厳しい原子力法では新たな処分場設置に膨大な時間と手続きが必要だったが、再統一条約によりDDRの営業許可が連邦法に引き継がれたため、西側の電力会社は「既存施設」としてこれを利用。1994~1998年の間に大量の廃棄物が運び込まれた。現在貯蔵されている廃棄物の約60%は、この時期に搬入されたものだ。その後、環境団体による訴訟を受け、1998年にマクデブルク高等行政裁判所が一部区画への搬入停止を命令。2001年にはBfSが放射性廃棄物の追加受け入れを「不可逆的に放棄する」と発表し、閉鎖・廃止措置へと舵が切られた。
2003〜2011年にかけては、バルテンスレーベン坑の区域の安定化措置が実施された。この一帯は長年の岩塩採掘により空洞が密集しており、地盤の不安定化が懸念されていたためである。恒久的な安全性を確保するため、27カ所の採掘跡が特殊な塩コンクリートで充填された。この措置が行われなければ、岩盤の変形が進み、処分場と上部岩盤の間にある不透水性の帽岩を損傷させる恐れがあった。
2017年4月、放射性廃棄物処分の組織再編に伴い、運営責任はBfSからBGEへと引き継がれた。現在は、廃棄物を地下に封じ込めたまま安全に最終閉鎖するための認可手続きが続けられている。
編集部からの質問 1
西ドイツでは再統一前、ゴアレーベンなどの処分場選定に対して多くの抗議がありました。同じ時期、DDRでもそのような抗議があったのでしょうか? また、ドイツ再統一後はどうでしたか?
フォークト施設長:DDR時代、処分場に対する抗議は基本的にありませんでした。処分場は国境地帯にあり、この施設に入ることは、ごく少数の人にのみ許可されていました。モルスレーベンで働いていた人たちは地域住民で、彼らにとって仕事と収入があることが重要でした。
しかし、再統一後は状況が異なりました。西ドイツのほかの原子力施設で見られるような抗議運動が、モルスレーベンでも行われるようになったのです。これは処分場自体への抗議というよりも、原発とそれに関連する最終処分に対する抗議運動の一つという感じでした。現在では、地元住民による反対運動などはありません。これは、処分場が訪問者に開放されており、BGEが包括的な情報を提供していることと関係していると思います。
いざ、地下480メートルへ
その後、360度バーチャルツアーを使用し、画面を見ながらモルスレーベン処分場の現場を見ていく。まず施設の航空写真が表示された。かつての東西ドイツ国境地帯に位置するこの処分場は、厳重な管理区域に囲まれている。そこから入り口のゲートをくぐり、1層ずつ地下へと降りていく。
放射性廃棄物は、地下480メートルの第4層に位置し、西区画(1万863平方メートル)、南区画(1万119平方メートル)、東区画(6140平方メートル)など複数の区画に分けて貯蔵されている。積み重ね方式、投棄方式、液体廃棄物の現場固化など、時期や区画によって処分方法は異なる。同じ階層には放射線防護研究室が設置されており、空気、水、表面の放射能が常時監視されている。
地下420メートルの第2層は放射性廃棄物がない区域で、2016年に整備された近代的な作業場には大型クレーン、溶接場、電気作業場があり、訓練生も働いているという
地下500メートルの第4層西区域に貯蔵されている低・中レベル放射性廃棄物。実際の見学ツアーでは、専門家のみが入ることができる
編集部からの質問 2
モルスレーベン処分場で働いているのは、どのような方たちですか?
フォークト施設長:立坑施設では約200人が働いており、平均年齢は44歳です。年間3〜5人の訓練生を受け入れ、電気技師、鉱山労働者、掘削技術者を育成しています。退職による欠員を補えるよう自分たちで訓練しているのです。
しかし、現時点でそれは全く十分だとは言えません。出生率の低下とも関係しているでしょうが、興味を持つ訓練生自体の数も減少していると感じます。閉鎖には膨大な時間がかかるので、若い人に興味を持ってもらうことは非常に重要です。そのため、若い人たちにこの仕事について知ってもらえるよう、BGEとしてさまざまな取り組みを行っています。
100万年の安全を目指す閉鎖計画
モルスレーベン処分場の閉鎖計画は、1997年から認可手続きが進められているが、まだ認可は下りていない。2005年に前任のBfSが「閉鎖計画」を提出したものの、2013年に連邦処分委員会(ESK)が「長期安全性評価が最新の科学技術水準に合致していない」と指摘。以降、BGEが申請を担い、書類の改訂作業が続いている。
閉鎖コンセプトの核心は、放射性廃棄物を地質学的に安定した状態で100万年間にわたり環境から隔離すること。具体的には、①鉱山全体を塩コンクリートで充填して地層を安定化、②遮蔽構造物で廃棄物を隔離、③二つの立坑を閉鎖、という三つの措置が計画されている。
特に重要なのが塩コンクリートによる充填だ。岩塩層は時間とともにゆっくりと流れ、空洞を埋めようとする性質がある。放置すれば、長期的には塩の中に透水経路が形成され、放射性物質の移動を可能にする恐れがある。そのため、先手を打って空洞を充填する必要があるのだ。中央部ではすでに100万立方メートルの空洞が塩コンクリートで充填され、安定化作業はほぼ完了している。
認可が下りれば、2030年代に閉鎖作業が開始され、15〜20年かけて完了する見込みだ。2050年頃の完了を目指しており、閉鎖後も処分場区域の環境監視が続く。
モルスレーベン処分場の全体像。赤く塗られた箇所に廃棄物が貯蔵されている。中央の緑に塗られた箇所は、安定化の実証のため塩コンクリートでの充填が行われた区域
編集部からの質問 3
数万年続くリスクを封じ込めるという途方もない仕事に、皆さんはどんな思いで従事していらっしゃるのでしょうか?
フォークト施設長:私は鉱山技師として、長年カリ塩と岩塩の鉱業に従事し、2年半前からここの施設長として働いています。この仕事には、鉱業と閉鎖技術、放射線防護、従業員と周辺住民、環境保護などの要素が複雑に絡み合っていて、やりがいがあります。
ドイツが脱原発という決断を下し、企業として、または社会として、私たちは今それに対処しなければなりません。原発施設の廃止措置からも廃棄物が依然として発生します。私たちにとって重要なのは、最終的に処分場が充填され、廃棄物が安全に封じ込められ、周辺住民と環境の保護が保証されていると言えることです。「何も起こらないことが最大の成果」であり、時に忍耐を必要とします。しかし、私と同様に、多くの同僚たちからこの仕事に対する誇りを感じています。
透明性と対話で築く関係性
見学ツアーの終盤、BGEが行っている情報公開と教育的な取り組みが中心の話題となった。モルスレーベン処分場の近くに設置された情報センターでは展示が行われ、坑内見学ツアーは特に人気が高い。専門家やジャーナリストだけでなく、地上業務を行う従業員、そして地域の学校の生徒たちも訪れる。年明けの時点で、今年はすでに5〜6クラスの申し込みがあるという。ツアーでは専用の防護服と数キロの酸素ボンベの携帯が必要なため、13歳未満は参加できないが、学校訪問プログラムやロールプレイングなど、年齢に応じた教育機会も提供している。
モルスレーベン処分場の情報センターでは、処分場の歴史をはじめ、現在行われている作業、計画されている廃止措置、廃止措置の進捗状況などについて知ることができる
モルスレーベンでは住民の多くが鉱山に関わってきた歴史があり、地域と処分場は生活圏として地続きにある。だからこそ、運営側にとって透明性の確保は、円滑な管理運営のための前提条件といえる。訪れる人々の多くは好奇心旺盛に、時に鋭い質問を投げかけてくるという。
「私たちの仕事の本質は、常に透明に、そしてオープンにコミュニケーションを取ることです。教科書通りに進まないこともありますが、そのこと自体も共有することで、人々との信頼関係を維持したいのです」と、情報センター館長のキーファーさん。この場所をいかに安全に、そして社会の納得を得ながら最終的な閉鎖へと導くのか。その長いプロセスが、今日も一歩ずつ、静かに進められているのだった。
編集部の振り返り
見学ツアーを終えて
編集部・岡島
今回、現地ツアーは断念せざるを得ませんでしたが、そんななかご提案いただいたオンライン見学ツアー、実はBGEの方々にとってもメディア向けに行うのは初挑戦だったそうです。核廃棄物処分場は、立地的にも心理的にも、私たちの生活から遠く離れたもののように感じますが、実際にそこで毎日働いている人たちの仕事に対する思いを直接インタビューできたのは貴重な経験でした。でもやっぱり、オンラインと実際にその空間に行くのでは違います。何カ月待つことになっても、現地ツアーに参加したいと思います!
編集部・沖島
プロジェクトに関わる人々は、周辺の町や村で暮らしながら働いており、仕事への誇りと強い責任感が自然と伝わってきました。ここで進められている取り組みは、現時点で得られる知見と技術をもとに、取り得る最善の選択を一つひとつ積み重ね、その結果を引き受け続ける姿勢に支えられています。だからこそ、この長いプロセスは成り立っているのだと感じます。日本を含むほかの国々においても、知る機会と対話の場を広げ、問題を未来へ先送りするのではなく、社会として選択肢を探り続けることの重要性をあらためて考えさせられました。
編集部・土井
バーチャルとはいえ、SF映画のワンシーンを見ているようでした。でもこれは現実。実際に足を運んで、その「現実」と向き合わねばと思いました。ドイツは脱原発を実現しましたが、自分も原子力発電による電気を使っていた事実を消すことはできません。今回BGEの方たちと画面越しに会い、脱原発後も核の現場で働く人々がいることを忘れてはいけないと強く感じました。そして、ドイツも日本も高レベル放射性廃棄物の最終処分場が決まっていないことは、途方もなく大きな課題です。一市民として関心を持ち続けることは、決してやめてはいけないことだと、あらためて気づく機会になりました。



インベスト・イン・ババリア
スケッチブック






