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「光の祭典」―東西統一から25年

ライプツィヒの「光の祭典(Lichtfest)」は、東西ドイツの統一に繋がった1989年の歴史的な「民主化デモ」の追憶イベントとして、ベルリンの壁崩壊10周年を迎えた2009年以降、毎年10月9日に開催されています。ベルリンの壁崩壊から25年目となった今年は、約20万人が町の中心部にあるアウグストゥス広場に集まりました。19:00に幕開けした祭典では、ライプツィヒのブルクハード・ユング市長による祝辞に始まり、ザクセン州のスタインスロー・ティリッヒ首相、さらにはヨアヒム・ガウク連邦大統領が演説を行いました。また今年は、ポーランドやチェコ、スロバキアの大統領も同席しました。

庭からのゲストハウスの眺め
中心部のリングに溢れる人々

1989年当時の東ドイツ(ドイツ民主共和国=DDR)は社会主義国であり、「自由」と「民主主義」を掲げるデモに対しては、脅迫的な銃撃命令が下されていました。さらに、DDRの秘密警察シュタージ(国家保安省)は、政府に批判的な市民の電話を盗聴したり、郵便物を検閲したりして、市民を徹底した監視下に置いていました。それにもかかわらず、毎週月曜日に聖ニコライ教会で開かれていた「平和の祈り」の集会が徐々に規模を拡大し、参加者は市内をデモ行進するようになったのです。「Wir sind das Volk! (我々は人民だ!)」そして「Keine Gewalt (暴力反対)」をシュプレヒコールに、当時の群衆は市内中心部を囲む通り、リング(Ring)を練り歩きました。そして、いよいよ25年前の10月9日、この「月曜デモ」のうねりが頂点に達し、ライプツィヒの「市民革命」へと発展。そこには7万人以上の市民が参加しました。このデモが引き金となって、翌月9日のベルリンの壁崩壊へと繋がり、その後の東西ドイツ統一が実現したのです。

これまで「光の祭典」は、アウグストゥス広場のみで行われてきましたが、今年は1989年に行われたデモ行進のルートを追想して、3.6kmに及ぶ中心部のリング全体が会場となりました。アーティストのユルゲン・マイヤー氏が統率して、音楽ライブやパフォーマンス、ダンス、建物壁面へのビデオマッピングなど、20カ所で様々なプログラムが開催されました。さらに、2009年の祭典開始当時から続く恒例の儀式として、2万5000本のロウソクが配られ、アウグストゥス広場には今年も大きな「89」が炎で描かれました。

ガーデン・プログラムの参加者たち
アウグストゥス広場に集まった20万人の群衆

ベルリンの壁崩壊から25年が経ち、旧東ドイツ時代を知らない若年世代も増えてきました。ライプツィヒの「光の祭典」に集まった様々な世代の人々は、それぞれの25年間に想いを馳せているようでした。
www.lichtfest.leipziger-freiheit.de

ミンクス 典子
福岡県生まれ。東京理科大学建築学科修士課程修了後、2003年に渡欧。欧州各地の建築設計事務所に所属し、10年に「ミンクス.アーキテクツ」の活動を開始。11年よりライプツィヒ「日本の家」の共同代表。
www.djh-leipzig.de
 
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