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クラシェフスキー博物館

ドレスデンには、かつて文化人や著名人などが住んでいた住宅が博物館になっているところが数多くあります。前回に引き続き、今回もそんな小さな博物館をご紹介します。

若者が多く住むにぎやかなオイセレ・ノイシュタット(Außere Neustadt)地区から坂を下って静かな住宅街に入り、ホっとしたところに、凝ったウインターガーデンでひと際目立つ家が建っています。19世紀後半にポーランド出身の歴史小説家ヨーゼフ・クラシェフスキー(Jozef Ignacy Kraszewski)が住んでいた家で、現在は博物館になっています。クラシェフスキーは、今でもドレスデンでよく知られている『アウグスト強王』や『コーゼル侯爵夫人』の作者で、ドレスデン人にとって身近であり、大切にされている人物です。

雪に覆われたクラシェフスキー博物館
雪に覆われたクラシェフスキー博物館

クラシェフスキーは、1812年に貴族の長男としてワルシャワに生まれました。政治的な苦境下にあった当時のポーランドでは、30年にロシアからの独立を目指しながらも、結局鎮圧された「11月蜂起」があり、その事実を聞いたショパンが「革命のエチュード」を作曲しています。63年の「1月蜂起」もロシアによって鎮圧され、多くのポーランド貴族が絞首刑に処されました。これを機に同年2月3日、クラシェフスキーはドレスデンに亡命、当地で同じような亡命者たちと交流を持ったそうです。69年にはザクセン王国の市民権を獲得。その後21年間ドレスデンに住み続け、その間に240作におよぶ小説や物語を遺しました。

現在博物館になっているノルト通り(Nordstraße)27(現在の番地は28)のヴィラは、ドレスデンにおける彼の2番目の家で、73~79年にかけて居住しました。博物館の方の話によると、改装によって当時の間取りはほとんど残っておらず、家具もオリジナルではなく当時の様式のものを利用して再現展示しているのだそうです。クラシェフスキーは執筆のほかに作曲、絵画活動もしており、彼が描いたいくつかの油絵が壁に掛かっていました。故郷の風景や、うっそうとした木々を取り囲む石壁と壊れた扉など、彼の故郷への想いや心の内が垣間見られるようなモチーフは、印象深いものがありました。

この博物館ではポーランドとの文化交流も盛んに行われており、コンサートやディスカッション、展覧会が行われています。私が訪れた時にはエスペラント語についての特別展(エスペラント語の創始者はポーランド人のザメンホフ博士)が開かれていました。2階にはカフェもあり、ポーランドのケーキが味わえます。このカフェはウインターガーデンに面しているので、この家1番の特等席と言えるでしょう。「夏は庭が最高ですよ。カフェもテラスに出されるので、ぜひいらしてください」と博物館の方。ふらっと立ち寄りたくなる博物館です。

www.museen-dresden.de

クラシェフスキー博物館
自作の油絵がテーブルピアノの上に掛かっている部屋

福田陽子さん福田陽子
横浜出身。2005年からドレスデン在住。ドイツ人建築家の夫と娘と4人暮らしの建築ジャーナリスト。好奇心が向くままブログ「monster studio」公開中。
http://yoyodiary.blog.shinobi.jp/
 
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