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ゴアレーベン核廃棄物最終処分場、反対デモ行進から40年

ハノーファーの歴史博物館で7月28日まで、かつて核廃棄物最終処分場予定地とされたゴアレーベンにおける反対運動の歴史についての展示「トラクターでハノーファーへ」が開かれています。ちょうど40年前の1979年、トラクターでのデモ行進を中心に、最終処分場についてこれまでの経過を振り返っています。

ハノーファー駅北側に置かれた反対運動のシンボルとなる岩の模型(博物館にて)
ハノーファー駅北側に置かれた反対運動のシンボルとなる岩の模型(博物館にて)

ドイツには低レベル核廃棄物の最終処分場はありますが、高レベル核廃棄物用のはなく、現在国を挙げて候補地を選定しているところです。ゴアレーベンはニーダーザクセン州の過疎地にあり、旧東ドイツの国境まで2kmしか離れていません。1970年代終わりに高レベル核廃棄物最終処分地に決定したことが発表され 、長年調査や工事が進められてきました。しかし、候補地決定までのプロセスが不透明であることが指摘され、2013年に白紙に戻ります。地元では反対運動が長く続き、そのハイライトが1979年3月25日から31日の トラクターによるデモ行進です。総勢10万人が、1週間かけて処分場そばのゲデリッツからハノーファーまで約150kmを歩き、トラクターも400台同行しました。展示では当時の写真やニュース、また関係者や団体のコメントが紹介されています。

1979年のデモ行進の様子
1979年のデモ行進の様子

なぜトラクターでの行進だったのでしょうか。それは農家の人々が多く参加したからでした。通常農家の人々は毎日の農作業でデモへの参加は難しいのですが、地元で反対運動をする市民団体がデモ期間中に代わって農場で働く学生などを見つけてきたので、多くの農家の人々が参加できたのです。いかに最終処分場に危機感を感じていたかが分かります。ちょうどデモ行進が実施された際、ニーダーザクセン州は世界各国から核廃棄物処分に関する専門家60人を呼び、ゴアレーベン地中の岩塩に核廃棄物を処分することの安全性について会議を開いていました。また、3月28日には米国でスリーマイル島原子力発電所で重大な事故があり、人々の心配はいよいよ現実のものとなりました。

結局、2013年にゴアレーベンを最終処分場とする計画は取り消され、反対運動をした人たちの願いは叶ったことになります。政府は全国を対象に候補地を新たに探していますが、実は引き続きゴアレーベンも候補の1つに入っており、まだまだ油断はできません。

昨秋、フィンランドの高レベル核廃棄物最終処分場「オンカロ」を訪ねました。現場には入れませんでしたが、インフォメーションセンターを見学し、銅とセメントで固めた地中400mの地点に、核廃棄物を10万年保管する計画だと知りました。10万年とは想像を絶する時間ですが、たとえ人類が死に絶え、氷河期が来ても安全に埋められたままである想定だそうです。オンカロを訪れたことで、核廃棄物処分がどれだけ大変なことなのか、そしてゴアレーベンの人々にとってどれだけ切実な問題であるかをさらに実感しました。

※詳しくは「Trecker-nach-Hannover」で検索

田口理穂(たぐち・りほ)
日本で新聞記者を経て1996年よりハノーファー在住。社会学修士。ジャーナリスト、裁判所認定ドイツ語通訳・翻訳士。著書に『市民がつくった電力会社: ドイツ・シェーナウの草の根エネルギー革命』(大月書店)、共著に「お手本の国」のウソ(新潮新書) など。
 
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