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巨大な社会主義団地地区 グリューナウ 衰退から成長へ

1976年、まだドイツが東西に分かれていた時代、東ドイツに位置していたライプツィヒの西のはずれにあるグリューナウで、巨大な団地地区の建設が始まりました。工事は急ピッチで進められ、同年末までに約1700戸の住戸が完成。この地区の建物は、プラッテンバウ(Plattenbau)という、当時の東ドイツでよく用いられたプレハブ工法により建てられました。これは規格化された壁、床、バルコニーなどの部品を完成した状態で工場から現場へ運び、組み立てる工法で、天候に左右されることなく、建設時間を短縮することができます。都市計画的にも、地区内に幼稚園、学校、公民館、スポーツ施設、診療所、ショッピングセンターなど生活に欠かせないインフラを備えており、適度な密度で建物が配置され、その間には豊かな緑の空間が広がっています。車道は行き止まりを多く作り、車が通り抜けできないように計画されているので、小さな子供たちが遊んでいても危険がないように配慮されています。

イベント
団地は6、9、11、16階建ての4タイプ

1989年、最盛期のグリューナウ団地地区は、住戸数3万5000戸、人口8万5000人という、東ドイツで最大級の団地地域へと成長しました。この成長の背景には、市内にあるグリュンダーツァイトなど歴史的価値の高い建物の保全よりも、新興団地の開発を優先した当時の政府の方針がありました。築100年の古い建物を改修するよりも、新興団地を開発する方が効率的に住戸を供給できるという経済的な理由だけでなく、しゃれた歴史的建造物をブルジョアジーの象徴として批判し、新しい時代の技術と計画を用いて、規格化された平等な住戸を持つプラッテンバウの団地を「社会主義の理想の実践」として、イデオロギー的に褒めたたえていた側面があるのです。

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減築されて空地になった場所にある住民たちによる「コミュニティー・ガーデン」

ところが89年にベルリンの壁が崩壊し、その後大きな人口流出が起きて、2011年には人口が半分以下の4万人にまで減ってしまいました。そのため、市も助成金を投入して減築を進めてきました。そこへ来て、ここ数年にわたり人口増が続き、現在では減築して空地になった場所に新築の工事が進められています。ところが、これまで住み続けていた住人たちは高齢化が進み、新しく移り住んでくる層は年代が若くても低所得者がほとんどという状況。社会的な多様性を維持することが課題となっています。わずか40年間の間に、衰退とその次の成長を経験しているグリューナウ。社会の変動が団地の住まい方にも凝縮されています。

グリューナウ地域マネージメント: http://www.qm-gruenau.de

ミンクス 典子
ドイツ建築家協会認定建築家。福岡県出身。東京理科大学建築学科修士課程修了後、2003年に渡欧。欧州各地の設計事務所に所属し、10年から「ミンクス・アーキテクツ」主宰。11年より日独文化交流拠点ライプツィヒ「日本の家」の共同代表。
www.djh-leipzig.de
 
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