ドイツ政府、そして世界中の諜報機関に衝撃を与える事件が起きた。10月6日、ドイツの対外諜報機関・連邦情報局(BND)のアウグスト・ハニング元長官(80)がスパイ行為や国家反逆未遂などの疑いで逮捕された。BNDの1956年の創立以来、最大の不祥事だ。諜報機関の元トップが、スパイ活動の疑いで逮捕されて刑務所に勾留されるのは、ドイツだけではなく欧米でも例がない。
元BND長官のハニング氏(2015年撮影)
2000件のBND文書が個人宅に流出
ハニング氏は、1998~2005年までBND長官だったほか、その後2009年まで内務次官も務めた。連邦検察庁はハニング氏が、内務省退官後の2010年から12年間にわたり、BNDの元部下(マンフレート・D)に金を払ってBNDの機密文書約2000件を入手し、外国の諜報機関に情報を流していた疑いを持たれている。D(64)はハニング氏がBND長官だった時の秘書室長で、やはり検察庁に逮捕されて刑務所に収監されている。
ハニング長官が不法に入手したBNDの文書には、BND長官が毎週首相のために行う、ドイツの安全保障をめぐる情報分析に関するブリーフィング資料も含まれていた。その一部は、トップ・シークレットに指定されていた。
ハニング元長官は内務省を退いた後、安全保障関係のコンサルティング企業を経営した。彼は、BNDから不法に入手した資料を使って、アゼルバイジャンの諜報機関のために報告書を作成した。ただしこの報告書が実際にアゼルバイジャンに流れたかどうかは、分かっていない。同国は、近年緊張関係にあるロシアとイランについて、ハニング氏の分析を欲しがっていた模様だ。
このほかドイツのメディアは、「ハニング氏が中国の退役軍人や、ロシアのプーチン大統領の側近でタカ派のニコライ・パトルシェフ顧問(ロシアの治安機関FSBの元長官)と接触していた」と報じている。ハニング氏はロシアでパトルシェフ氏と4回も会っていた。パトルシェフ氏はプーチン氏と同じサンクトペテルブルク出身で、ロシアの諜報機関・治安機関の大立者だ。ハニング氏の弁護士は、同氏が自宅にBNDの文書を隠し持っていたことは認めたが、「これらの文書を外国の諜報機関などに渡していた事実はない」と主張している。
動機も謎に包まれている。また、ハニング氏は2017年にラトビアの銀行の監査役に就任したがこの銀行が倒産し、破産管財人から多額の損害賠償を求められ、恩給の大半を差し押さえられているという報道もある。
ほかの事件の捜査でたまたま発覚
スパイ事件の発覚は、偶然の産物だった。ハンブルク警察は、ハニング氏のコンサルティング企業が、飲食店チェーンを経営する夫婦の子どもの養育権争いで、子どもの誘拐未遂事件に関与した疑いを持っている。このため警察が誘拐未遂事件との関連でハニング氏の自宅を捜索したところ、BNDの機密文書が大量に見つかり、元長官のスパイ行為が発覚した。ベルリンのBND本部に外部の者が入る時には、携帯電話を預けさせられるほか、BNDの職員は、職場では偽名を使っている。そうした秘密保持努力にもかかわらず、内部文書が12年間にわたり2000点も個人の自宅に流れていたことを、BNDが気づかなかったのは、不可解だ。
BNDは、不祥事には事欠かない。2022年にも職員がロシアの諜報機関から金を受け取って内部文書を渡していた疑いで逮捕されている。
ちなみに、ハニング事件の全貌の解明には、限界がある。ドイツの検察庁は、現時点ではハニング氏が外国の諜報機関に文書を渡していたかどうかを把握していない。仮にハニング氏が外国のスパイに文書を渡していたとしても、相手国はその事実を絶対に認めない。ドイツの検察庁は、外国政府から協力を得られない。つまりドイツ最大のスパイ・スキャンダルの真相は、闇の中に葬られる可能性が強い。
BNDの権限拡大に逆風
ドイツのメディアは、「BNDに対する信頼感は、今回のスパイ事件で粉々に砕かれて瓦礫の山になった」と論評した。欧米諸国の諜報機関でも、困惑が広がっている。同盟国の諜報機関はBNDと情報の一部を共有していたからだ。たとえばドイツの警察はイスラム系テロリストによる国内でのテロを未然に防いだことが何度かある。これは米国の中央情報局(CIA)やイスラエルのモサドなどの情報提供があったから可能だった。今回の事件をきっかけに、外国の諜報機関はドイツに提供する情報を減らすかもしれない。
今回のスパイ容疑事件は、BNDにとって都合が悪い時期に発覚した。その理由は、メルツ政権が現在BNDに関する法律を改正して、諜報機関の権限の拡大を目指しているからだ。具体的には、BNDが外国のドローン工場やテロリストの拠点などに対する物理的なサボタージュ(妨害工作)や、敵に対するサイバー攻撃(ハックバック)を行えるようにする。CIAやモサド、英国のMI6は、政府の許可があればこうした妨害工作を行うことができるが、BNDはこれらの行為を禁じられている。諜報関係者の間では、「BNDは草食系だ」といわれている。BNDは集めた情報の分析ばかり行っていて、外国で直接行動を取る権限がなかったからだ。つまりメルツ政権は、ロシアからのハイブリッド攻撃の危険が高まるなか、BNDをサボタージュを行える「肉食系」の諜報機関に変えようと思っているのだ。だがハニング事件で、BNDのガバナンス、コンプライアンス能力が低いことが露呈された今、BNDに外国での破壊工作などを可能にしようとする動きに、逆風が強まる可能性がある。



インベスト・イン・ババリア
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