Hanacell

レンズを通して見たカーニバルの現代の姿

僕が住む地域では「Fasching」(ファッシング)、ほかの地方では「Fastnacht」(ファストナハト)と呼ばれるカーニバル。紙吹雪やお菓子が空から降り、太鼓やトランペットが鳴り響くなか、仮装した人々が街を練り歩くパレードに参加してきました。歓声も地域によって異なり、ケルンでは「アラーフ!」、ブラウンシュバイクでは「ヘラウ!」と叫びます。

核のゴミをイメージした山車核のゴミをイメージした山車

カーニバルは何百年前も前から続く伝統。キリスト教と関係が深く、イースター前の断食に備えた大切な息抜きの意味合いがあったそうです。11月11日に始まり、イースターサンデーの46日前に当たる「灰の水曜日」まで続き、厳しい冬を乗り越えたことを祝います。灰の水曜日の名前は、カトリックの司祭が教会を訪れる信者の額に灰で十字架を描いたことに由来するそう。かつて灰は洗浄剤として使われ、魂を清める象徴でした。「人間よ、塵であることを忘れるな、塵に帰るのだ」という昔の司祭の言葉が残っています。全てのものは過ぎ去り、塵となる。これを聞いて、無常観を説く『方丈記』の「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」という一節を思い起こしました。

ドイツ全土の放射性廃棄物処理の問題を訴えるグループドイツ全土の放射性廃棄物処理の問題を訴えるグループ

今回僕は海賊のコスチュームを着てカメラ片手に参加。パレードで行進する友人に頼まれ、放射性廃棄物問題をアピールするグループの撮影係です。ブラウンシュバイクでは、2015年にテロ予告がありパレードが急きょキャンセルされたことがありました。それ以来、銃を提げた警官隊、車の突進を避けるためのブロックなどの警備体制が敷かれています。僕たちのグループの山車は、核のゴミにさまよう船をイメージしたもの。農業用トラクターがゆっくり引っ張る山車の上から、子どもたちが街頭にいる人たちに飴玉を投げます(投げつけているという表現の方が適切かもしれません)。それを一生懸命子どもたちが拾い集めます。

空から降ってくるお菓子を集めるのは楽しそうですが、僕はどうしても路上に残るプラスチックの包装が気になり、別の方法はないかと考えてしまいます。現代では断食する人が減っているとも聞くため、お祭りどんちゃん騒ぎ的な要素が大きくなりすぎているのではないかと疑問に思うことも。カーニバルには個人的にあまり好きになれない部分もありますが、レンズを通して普段と違う日常を眺めることは楽しい行為です。

お菓子を投げる子どもたちお菓子を投げる子どもたち

山車の上から眺める街並み、古い建物を背景に現代的な仮装をする人々の群れ、お菓子ではなく歯ブラシを配る歯医者、ガザの虐殺停止を訴えるグループ、ウクライナの国旗の色である青と黄色のペインティングをしている子ども……。さまざまな現代の姿に「人間よ、塵であることを忘れるな、塵に帰るのだ」という言葉を思い出します。もし来年も声がかかれば、毎年少しずつ違うカーニバルの風景を記録したいと思いました。

国本 隆史(くにもと・たかし)
神戸のコミュニティメディアで働いた後、2012年ドイツへ移住。現在ブラウンシュバイクで、ドキュメンタリーを中心に映像制作。作品に「ヒバクシャとボクの旅」「なぜ僕がドイツ語を学ぶのか」など。三児の父。
takashikunimoto.net
 
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