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変わらぬ風景と新たな一歩 シラーの生家を訪ねて

シュトゥットガルトから北に電車で30分、ネッカー川沿いの街マールバッハ・アム・ネッカーは、詩人であり劇作家のフリードリヒ・フォン・シラー(1759-1805)の出身地です。彼の生家(Schillers Geburtshaus)は、シラーの誕生100周年に当たる1859年11月10日にミュージアムとして一般公開され、現在でも年間およそ5000~7000人程度が訪れています。

数年後に生まれ変わる予定のシラーの生家数年後に生まれ変わる予定のシラーの生家

実は今、このミュージアムが大きな転機を迎えています。2024年にシラー生家の隣家が空き家となり、これをシラー生家を管理するシラー協会が購入。この二棟を一体化させる新しいミュージアム構想が、いよいよ動き出したのです。数年以内に展示スペースの拡張や、体験型コンテンツの導入、セミナールームの設置などのリニューアルが予定されています。

私がシラーの生家を訪れた日、シラー協会のラーイングさんとクラウスさんが案内してくれました。彼らは日本に滞在経験のある親日家で、とても親切にミュージアムの案内と今後の計画について話してくれました。シラーの父は軍の衛生官で、当時、家族6人がこの小さな木組みの家で暮らしていたといいます。館内に展示された風景画には、人口1000人にも満たなかった当時の街や周辺の様子が描かれていて、現在とほとんど変わらない景色だったのが印象深かったです。幼少期の帽子や衣服、手紙や肖像画など約30点が展示されているほかに、映像を通してシラーの足取りを追ったり、1965年5月24日、英国のエリザベス女王が訪れた時の様子を写真で見たりすることができます。

展示の様子。情報が盛りだくさんです展示の様子。情報が盛りだくさんです

来館者ノートには、世界各国の言葉で感想が寄せられており、日本語での記述も見られました。シラーの名が世界に広まるきっかけとなったのは、ベートーヴェンの交響曲第9番の「歓喜の歌」(An die Freude)の歌詞ではないでしょうか。私の子どもが通うドイツの学校でも、「手袋」(Der Handschuh)をはじめとするシラーの作品を朗読する機会があり、授業を通じて彼の作品に触れる機会が毎年のようにあります。

さて、シラーはマールバッハを離れた後、マンハイムで劇作家としての地位を確立し、イェーナで哲学を学び、最終的にヴァイマールでゲーテと親交を深めました。実は私自身も、これらの都市と不思議なご縁があります。ドイツに来て最初に住んだのがイェーナであり、親類の住むヴァイマールを訪れる機会も多くあります。ヴァイマールの劇場前に立つシラーとゲーテの像を見るたびに、偉大な文豪たちと縁ある地に暮らしていることへの感動を覚えずにはいられません。

マルクト通りのラーイングさんの事務所マルクト通りのラーイングさんの事務所

最後になりますが、今号を持ちましてレポーターを卒業することとなりました。ライターになることは、私の夢の一つでした。それが叶い、本当にうれしく思っています。記事を書くことを通じて、多くの方々とすてきなご縁をいただきました。心より感謝申し上げます。今後も一読者として、引き続き応援しています!

久次( ひさつぎ ) 貴子( たかこ )
おんせん県出身。ドイツ人の夫と二人の子どもと日独いいとこどりの暮らし。 昼間はリロケーションサポートのお仕事。趣味は夜な夜な糀作り。とある村の朝の風景をインスタグラムで発信中。
Instagram:@takako_miyabi_deutschland

 
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