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メルケル首相の携帯盗聴事件の波紋

「Ausspähen unter Freunden - das geht garnicht(友好国間の盗聴は、絶対にあってはならないことだ)」。米国の諜報機関が、メルケル首相の携帯電話を盗聴していたという疑惑が浮上した時、彼女は厳しい表情でこう言った。

国家安全保障局(NSA)による盗聴疑惑は、米国とドイツの間の外交問題に発展。NSAの元職員エドワード・スノーデン氏が今年6月に暴露した情報のために、米独関係は過去10年間で最も険悪な事態に陥った。

メルケル首相
10月のEU首脳会議の合間、
自身の携帯電話をチェックするメルケル首相(左)

オバマ大統領に電話で抗議

10月17日、シュピーゲル誌の取材班は、メルケル首相のスポークスマンに対し、NSAがドイツで盗聴していた電話番号のリストを見せたという。その中には、メルケル首相が持っている2つの携帯電話のうち、キリスト教民主同盟(CDU)の関係者らとの通話に使う携帯電話の番号が含まれていた。

メルケル首相は、携帯電話を頻繁に使うことで有名だ。連邦議会の審議中にも時折、携帯電話からメールを送信している。彼女の政治活動に欠かせないこの携帯電話が、スパイ活動の標的にされたのだ。

メルケル首相はオバマ米大統領と電話で会談し、「友好国の首相に対する盗聴が事実であるとしたら、絶対に許されないことだ」と抗議して、疑惑の解明を要求した。しかも彼女は、スポークスマンを通じて、オバマ米大統領と電話で話した内容をメディアに公表するという、異例の措置を取った。

またメルケル首相は、ヴェスターヴェレ外相に命じて、ドイツ駐在の米国大使を外務省に呼び付け、抗議した。ドイツが、最も重要な同盟国の1つで、北大西洋条約機構(NATO)の盟主である米国の大使を外務省に「出頭」させることは、異例中の異例。ドイツがこのような態度を取ったのは初めてのことである。米国に対する通常の外交儀礼に反する行為であり、メルケル首相の怒りがいかに激しかったかを物語っている。

興味深いのは、ホワイトハウスの報道官のコメントだ。彼は、「米国はメルケル首相の携帯電話を盗聴していないし、将来も盗聴しない」と発表したが、「“過去において”メルケル首相の電話を盗聴したことはない」とは言わなかった。つまり米国は、過去にそのような行為があったことを事実上認めたのである。

早過ぎた「安全宣言」

ドイツ政府は、今回の件で大恥をかいた。NSA問題について、徹底的な調査を行わなかったために、メディアに指摘されるまで首相の携帯電話が盗聴されていたことを知らなかったからだ。

スノーデン氏の暴露後、ドイツ政府は米国政府に説明を求めた。しかし、フリードリヒ内相は今年9月の連邦議会選挙前、「米国の諜報機関はドイツの法律を守ると言っている。すべての疑惑は払拭された」と宣言した。メルケル政権がNSA問題の早期決着を図ったのは、盗聴問題が選挙の争点になることを防ぐためだったのだが、1週刊誌の調査報道によって、メルケル政権の「安全宣言」はもろくも崩れた。

シュピーゲル誌は、「連邦首相府や連邦議会議事堂の目と鼻の先にある米国大使館の屋上から、NSAの盗聴チームが政府要人の携帯電話を盗聴している疑いがある」と指摘。しかも、メルケル首相に対する盗聴は、2002年から今年の夏まで行われていた疑いが強まっているという。要するに、ドイツの対外諜報機関である連邦情報局(BND)や、外国のスパイ活動を取り締まる憲法擁護庁の職務怠慢である。

NSAの盗聴は公然の事実

ただし、NSAが政治家の携帯電話を盗聴していたこと自体は、驚くべきことではない。NSAが世界的な規模で電話の盗聴を行っていることは、1990年代から知られていたからだ。

諜報機関の任務は、「あらゆる情報を集めること」であり、その中には「友好国の首相の行動が、その言動と一致しているかどうかを確認すること」も含まれる。諜報機関は、技術的に可能ならば、いかなる手段も用いる。米国政府は自国の諜報活動について、他国に説明する義務を負わない。今後、ドイツ政府が強く抗議したとしても、米国政府はメルケル首相に対する盗聴の事実を詳しくは語らないだろう。

今回、CIAとNSAの技術職員だった人物が機密情報をメディアに渡したために、諜報機関の盗聴対象リストに首相の電話番号が載っていたことが、初めてメディアに知られてしまった。これは世界の諜報の歴史の中でも珍しい事態であり、スノーデン氏による情報開示の重要性を物語っている。

米国はスパイ行為を続ける

メルケル政権は、米国との間で「スパイ行為禁止協定」を結び、お互いの政府機関や企業に対するスパイ活動を禁止させたいと考えている。

しかしこれは、甘い発想だ。米国は自国の安全に関わるとなれば、今後も盗聴活動をためらわないだろう。ブッシュ政権のイラク侵攻が示したように、米国は国際法や外交協定よりも国益を最優先にする。彼らの電子盗聴技術は、他国に大きく水を開けている。

世界中の政府首脳は、彼らの携帯電話が今後もNSAによって盗聴される可能性があることを肝に銘じるべきだ。それが世界の現実政治(レアル・ポリティーク)の真の姿である。米独関係が修復されるまでには、まだかなりの時間が掛かるだろう。

15 November 2013 Nr.966

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
www.facebook.com/toru.kumagai.92
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