4月17日、ベルリン西部のグルーネヴァルト教会で、弦楽合奏「ヴォルフ・フェラーリ・アンサンブル」のコンサートが行われました。今年2月に亡くなったユルゲン・ヴェアマン牧師の追悼公演です。
2年前の春、教会につながりの深い知人の紹介で、ヴェアマンさんにインタビューをしたことがあります。1941年にベルリンで生まれたヴェアマンさんは、プロテスタント教会系の慈善施設で育ちました。ドイツの大学でキリスト教神学を学んだ後、1970〜71年にかけて、副牧師としてエルサレムに滞在。1967年の「六日間戦争」から数年後のエルサレムは、現在よりもずっと自由で開かれた空気に満ちていたといいます。
ユルゲン・ヴェアマン牧師の追悼コンサートでは彼のポートレートが飾られました
「例えば、ベツレヘムのパレスチナ人歯科医が、西エルサレムのユダヤ人歯科技工士と協力して仕事をしたり、アラブ人の牧師が娘のウェディングドレスをユダヤ教超正統派地区のメア・シェアリームに買いに行ったりという光景は当たり前にありました。しかし、その後の入植地の拡大や、至るところに作られた検問所が、対話を物理的に断ち切ってしまった」
さらにヴェアマンさんは、1979〜 85年までエルサレムに長期滞在します。19世紀末から旧市街に立つドイツ福音主義「救世主教会」の教区長として。ドイツ語圏だけでなく、世界中からプロテスタントが集まるこの教会では、時に7カ国語で礼拝が行われることもあったそうです。
インタビュー当時、苛烈さを極めていたイスラエルのガザ攻撃の話題になると、表情を曇らせ、旧約聖書の言葉を引用してこう語りました。「『目には目を、歯には歯を』という言葉がありますね。これは現代では『復讐の正当化』として誤解されがちですが、本来の律法の精神は『報復の連鎖を止めなさい』という制限の教えなのです」
コンサートが行われたグルーネヴァルト教会
エルサレムで対話を続けたヴェアマンさんにとって、ひとときでも人の心に調和をもたらす音楽はとても大切なものでした。1971〜75年まで救世主教会のオルガニストを務めた石田一子さんの思い出や、1985年にドイツ大統領として初めてエルサレムを訪れたリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーを旧市街に案内した後、自宅に招いて音楽やベルリンの話題で花が咲いたことを懐かしそうに語ってくれました。
追悼コンサートでは、ロウソクが幻想的に灯されるなか、バッハやイタリアの作曲家ヴォルフ=フェラーリの曲が奏でられました。「あの街の光、石、そして複雑な歴史。エルサレムは私の第二の故郷です」と言って微笑んでいたヴェアマンさんを偲びました。



インベスト・イン・ババリア
スケッチブック
中村真人(なかむらまさと) 神奈川県横須賀市出身。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。現在はフリーのライター。著書に『






